#208 軽井沢のミュージアム
2026-03-24
昨年7月にタレントで俳優の黒柳徹子さん所有のコレクションを常設展示する「黒柳徹子ミュージアム」が軽井沢にオープンしました。
敷地はすぐ脇を車の往来が多い国道18号線が走り、後背には小高い丘が迫り遠方に浅間山を望むという立地になっています。晴れた日には絶景のような浅間山を望めるように「物干し台」と称した展望台を屋根の上に設けた複雑で特異な屋根形状をした建物となっています。構造は在来木造建築で屋根構造の和小屋組みを現わしとし、その間からサイドライトの明りが差し込んでくる内観になっています。
設計は30年前に「安曇野ちひろ美術館」の設計を通して知己を得たという内藤廣氏で、このミュージアムを設計するにあたり黒柳さんを大衆文化のアイコンそのものだとして、その大衆文化の潜在的意識の中にある在来木造を必然のように構造として選んだといいます。
内部に入って見上げるその架構は柱と梁が縦横に組み交わされ、在来木造の持つ自由度の高さを教えてくれます。物干し台の柱は櫓を模したように四方に転んで建ち、隅木部分は繋ぎ梁を絡ませながら多重の屋根を支えています。欠損の多くなる四方差しは避けつつ、金物補強もしてあるのでしょうがそれを一切表に見せないディテールに興味は尽きません。
展示されているものは、これまで世界中を飛び回ってきた黒柳さんが生活文化を彩る日常的な品々を中心に、ガラスのペーパーウェイトや器、犬筥、華やいだ着物、版画や油絵、世界各地から集められた陶磁器、バッグや小物、着用したドレスなど多岐にわたります。黒柳徹子というたぐいまれな能力と好奇心を持ち合わせたマルチタレントの一端を垣間見る思いがします。テレビ黎明期から現在までその中心的役割を担ってきたほか、演劇人として舞台に立ち、その合間を縫ってユニセフ親善大使として飢餓に苦しむ世界の被災地へも足繫く訪れていたことは周知のとおりです。
そんな多才な黒柳さんが公立小学校を1年で退学になったという話は有名です。「手に負えない」というのが理由で、あたかも欠落人間のように扱われて追われました。
その後、リトミック研究で有名だったトモエ学園という先進的で自由な学校に移り、そこで創設者の小林宗作氏に出会い、能力を開花していきます。移ったその日、小林先生は黒柳さんの話しを4時間ぶっ通しで聞いてくれ、そして「君は、ほんとうは、いい子なんだよ」と言葉を掛けられ、その言葉に救われたといいます。見守ってもらえたこと、肯定されたことで相手を認めようという気持ちを持つ訓練ができたと述懐しています。
この話しを思い起こすたびに公立学校で否定された「能力」が別の場所で開花するという、その「人間の能力」って何だろうと思うのです。
「能力」という言葉が非常に広範に使用されているにもかかわらず、それを直接に測定することが難しいということは、繰り返し指摘されてきました。IQであれ学力であれ、何らかの「テスト」を使用して「能力」を計測する方法は、つねにその「テスト」の内容や形式にバイアスがかかっていることや、練習等によって点数が上がることから、真の「能力」を測定しているのではないという疑念にさらされてきました。
そもそも人びとの中に「能力」なるものが存在しているのかどうかも不明です。もしかして、「能力」とは「それがあることにされている」、「それがあるというように考えられている」、つまりフィクションではないかといわれる所以です。
教育社会学者のあいだでは、「能力」が社会的に「あることとされている」という事態を「能力の社会的構成」と呼んで、「能力があるから試験や選抜で選ばれるというよりも、試験や選抜で選ばれるものが能力があるとみなされているということになる。能力の社会的構成説は能力についてこのような倒立像を示唆する」としています。(「教育は何を評価してきたのか」本田由紀著岩波新書)
そして日本の「能力主義」においては、この不確実な「能力」を直線的に序列化していることが問題なのだとも指摘しています。このような人を型にはめ込むようなやり方で小学生時代の黒柳さんを評価したら、それは落第生となったであろうことは容易に想像できます。
「直感的に物事を把握し、知識や経験は膨大、よく喋り人の注意を逸らさない。覗き見る対象によって千変変化する万華鏡のような人(内藤氏)」なのです。
小林先生という発想の自由な人に出会えなかったら、こんな才人を我々は持つことがなかったと思うと背筋が冷え冷えとしますね。
テレビを媒体とした大衆文化が今とは少し違った風景になっていたかもしれません。



