#207 雪の玄武洞
2026-01-13
新年あけましておめでとうございます。
今年2026年は丙午(ひのえうま)に当たる年のようで、これまでの倣いで行くと出生数が抑えられる年回りになるのでしょうか?前回の60年前の丙午が昭和41年で出生数は136万人。その前年が182万人で翌年が193万人でしたから明らかに出産を控えたことが分かります。昨年の出生数が66万人と予測されていますから、これをさらに下回るとなると危機的な世代になってしまうと危惧しますが出産世代はどう考えるか。何の根拠もない因習などに囚われない発想であってほしいと願います。
年明け早々から最大級の寒波が到来して日本海側を中心に大雪に見舞われました。
毎年のこととはいえ日本海側と太平洋側の冬の気候の違いを思い知らされます。
コウノトリ飛来の地で知られる兵庫県の豊岡市も中国山地を境に北の日本海まで位置する日本海側気候に属します。城崎温泉があることでも有名です。
その市の中心部を日本海に向かって円山川という大きな河川が縦断していて、市の殷賑部はその流域に沿って発達してきたように見えます。160万年前に火山噴火により流れ出た溶岩流がこの円山川を流れ出て、周囲は地質学的に玄武岩と呼ばれる硬い岩石で埋め尽くされました。その露頭が見えるジオパークが豊岡市の円山川沿いにあります。「玄武洞」と呼ばれる場所がそれで、正面に対峙してみるとそのきれいな柱状節理のでき方と方向性が観察できて印象深い光景となって現れています。
同じ火山岩の中でもその冷え方が一般に急速に進んだものが玄武岩質となり、色は黒く硬度は固く、あたかも積み木を並べたような規則性をもった六角形の断面を見せてくれます。教科書的に言うと火山岩が冷やされて収縮する際、安定した形の六角形状に割れが入り、その割れ目がさらに内部に伸びて柱状に節理ができるのだそうです。
玄武洞の命名は江戸時代の儒学者・柴野栗山という人が中国の妖獣「玄武」に着想を得て名付けたとされますが、亀甲を背に持ち蛇のような長い胴体に節理の模様があるその姿を見ると、なるほど言い得て妙です。ここには5カ所の露頭があり、玄武の由来となった中国の宇宙観である四天神から朱雀、白虎、青龍などと呼ばれています。
物産的には江戸時代より「灘石」として出荷されていたようで、その節理から切り出しが容易で、崩せばほぼそのまま成形された石として石垣や漬物石に利用されたといいます。100年前の大正末期、関東大震災の二年後にこの周辺を襲った北但馬大震災では、この玄武洞も崩落の大被害を受けましたが、反面その崩落石を利用してそのままの形で石垣や土留めに利用されて復興を早めたとされています。その面影が現在でも城崎温泉の中心を流れる大谿川沿いの石垣に見られます。
このジオパークには「玄武洞ミュージアム」が併設され地質学的な展示がなされていて楽しめます。印象に残ったのは、まず玄武岩の命名。明治期に「basalt」という英名を訳す際、それまで色々な名前で呼ばれていたものを帝大の小藤文次郎氏がこの玄武洞に因んで命名したこと。よい命名だったと思います。玄武岩というだけで固い黒いイメージを連想させてくれます。余談ながら月の模様でウサギが杵を突く形に見える黒い部分は玄武岩質なのだそうです。それが四天神のひとつだというのは夢があっていいですね。二番目に京大の松山博士がこの玄武洞石から地球の地磁気逆転の発見を世界で最初に提唱した事です。160万年前のこの玄武岩が現在の地球磁場とは反対の方向に磁化していることを発見したのです。今でも磁石をもってこの玄武洞の石に置いてみると磁北が逆を指すことが確認できます。1926年(昭和元年)のことですから当時は世界的に認知されずに生前は捨て置かれていたといいます。後年再評価がなされ、今ではその時代を「松山逆転極期」と学術的に呼ばれているそうです。最近命名された「チバニアン」時代よりももっと古い逆転期になりますね。
周囲は前日に降った寒波の雪で白く化粧され、あいにくの寒い中で足元を気にしながらの玄武洞でしたが、ここの字地名が豊岡市赤石だというのを聞いてなんとなく親しみを覚えて見てきたのでした。


