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社長のうんちく

#205 トーベ・ヤンソンの残したもの

2025-10-08
 唐突ですが、北欧フィンランドというと一般にはなじみが薄く、思い浮かぶのは森と湖、サウナくらいでしょうか。そして音楽ではシベリウスという大作曲家が出て「フィンランディア」などの民族色を色濃く反映させた曲を作って知られます。建築ではアルヴァ・アールトという建築家が戦前戦後を通じてポストモダン的な建築を提案して活躍し、地場の間伐材を利用した集成材を考案して構造材や家具材に使用したことなどを学生時代に勉強したことを覚えています。北緯60度から70度という高緯度のため冬が長いことでも知られる一方、高負担高福祉の社会経済で国民の幸福度は一般に高く、教育水準も高いことで知られています。人口は550万人ほどで北海道と同じくらいですが、携帯電話の生産や老舗企業のノキアなどを持ち欧州にあって経済大国のひとつとなっています。しかし、第一次世界大戦からユーロ加盟までの近代のその歴史は激動の時代といえるもので、多くの戦争と政治的駆け引きにより国土を蹂躙された経験を持ちます。常に隣接する旧ソ連の圧力に苦しめられ、第一次大戦末期のロシア革命時に独立を宣言。一時社会主義国となった時もありましたが内戦を経て立憲政体に戻したものの、不可侵条約を破棄したソ連とのあいだで「冬戦争」を戦い国土の一割を失います。その後第二次大戦ではソ連に抗すべくドイツやイタリアなどの枢軸国側で戦い敗戦国として終戦を迎えます。戦後カレリア地方などの領土を失ったもののバルト三国のようにソ連に併合されたり社会主義化されることなく、さらにワルシャワ条約機構にも加盟せずに冷戦後を迎えたのは「ノルディックバランス」といわれた中立政策のかじ取りが功を奏したと高く評価されています。
 そんなフィンランドの歴史を持ち出したのは、まだ酷暑の続く八月末に六本木ヒルズ森タワーで開かれた「ムーミン展」を家内に連れられて訪れたからです。作者のトーベ・ヤンソンはこんな混乱と苦難の時代のフィンランドを生き抜いてきたことを知りました。入場制限を掛けるほどに多くの入場者で溢れその人気の高さにも驚かされました。
 画家として出発したトーベがムーミン小説第1作の「小さなトロールと大きな洪水」を上梓したのが先の「冬戦争」中の1939~40年。戦時下の辛い日々から逃れるための救いの場として「ムーミン谷」という想像世界を作り出したといいます。本人は画家が天職だと考えていたらしく、風景画や人物画も個展を成功させるほどの作品を残しており、展示されている油絵も表現主義的な秀逸なものが多いように思えます。その傍ら、雑誌への挿画も多く描いています。第二次大戦中は政治風刺雑誌の「ガルム」にナチズムへの反戦風刺画などを書き続けました。そんな厭戦的な思いや悲惨な現状を目の当たりにして、それとは対照的な平和で穏やかな優しい人たちで構成される「ムーミン谷」という世界を夢想し、少しばかりアイロニーを持たせた想像の世界を作り上げていくようになったのです。
 第1作出版以降「ムーミン」の世界は8冊の挿絵入り小説、3冊の絵本、20作以上のコミックシリーズ、4つの舞台脚本へと広がっていきました。
 トーベ自身は「想像しうる限りのもっともみにくい生き物」を主人公に選んだというように、初期のムーミントロールは風刺雑誌「ガルム」の挿絵で自身のサイン代わりに用いた「スノーク」がモデルになっていて、今見るものより細長い体形に描かれていました。辛辣で皮肉屋なスノークに対して、親切で優しいムーミントロールへ変遷していったのは作者トーベの心理的面影が投影されていったものだといわれています。愛くるしい優しそうなムーミンの姿からは想像できませんが、そこに至るまでに多くの悲惨な戦争や醜い人との葛藤があの膨れたおなかの中に詰まっていたのです。
 今回の企画展はヘルシンキ市立美術館所蔵の作品を展示したものです。
 展示冒頭の同館長メッセージにはその企画意図が添えられています。
 「彼女は自らの芸術にも人生にも、どんなことに対しても時代の規範や期待に屈することなく、毅然として自分自身と夢に忠実であり続けたのです。いまの時代にこそヤンソンの芸術はより重要な意味を持っています。彼女の作品は想像力と創造力が持つ変革の力を私たちに思い出させてくれます。それは私たちにとって超越的な力であり絶対に欠かせないものなのです」と。
赤石建設株式会社
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