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社長のうんちく

#204 高田松原の祈りの場

2025-08-06
 大災害となったあの東日本大震災から今年で14年が経ちました。
 福島の原発事故処理を除けば多くの津波被災からの復興はほぼ終えたかに思えます。人の記憶は頼りないもので、次々にやってくる地震や台風災害が報じられるたびにその記憶も次第にうすれていくのも現実です。世代を超えてその災害の実態と教訓を伝えていくには口伝だけではなく形をもって残していく必要があります。被災3県にそれぞれ復興記念公園・追悼祈念施設が設けられましたが、そのうち岩手県には陸前高田市に国営の追悼記念施設がつくられました。陸前高田は岩手県で最も被害の大きかった場所となり1,700人超えの犠牲者と世帯数の半数が流されるという、当時画像を通じて大きな衝撃を受けた地域として記憶されました。
 施設には県の大きな公園の中に国営の祈念公園を包摂し、被災した道の駅の復興、伝承施設、川をまたぐ人道橋、防潮堤を一体とした大きな土木的スケールを持ち合わせたランドスケープとして、そして何より追悼と祈りの場を表現することがその設計に求められました。場所はかつて岩手県の名勝地として名を馳せた高田松原のあったところです。江戸時代より防潮林として植えられてきた7万本を超える赤松・黒松が青々と海岸線に繁っていました。これまでも江戸期、明治期、昭和期に被災した津波に耐え街を守ってきましたが、今回の津波には抗せずたった1本の「奇跡の一本松」を残して文字通り根こそぎ波にさらわれてしまいました。寄せ波より引き波は想像以上に強いといわれます。設計は敷地に縦横の軸線を引いてその解を求めました。震災の脅威を伝える旧道の駅のタピック45、県の津波伝承館、市の地域振興施設を横軸に「復興の軸」とし、それと直角に交わり津波の襲来した広田湾方向と遡上した気仙川上流方向を結んだ「祈りの軸」が設定されました。この軸線の設定が敷地上に見いだされたとき、この設計はその意図を表現することに半分は成功したと言えるかもしれません。かつて1950年に広島平和公園内に平和記念資料館が計画された際、コンペでピロティの間から鞍型の慰霊碑を通して元安川越しの原爆ドームをアイストップにした軸線を見出し敷地を一体化した、当時では斬新な現計画案が採用されたのに似ています。それほどに敷地に対する配置の軸線設定は決定的に重要な意味を持ちます。しかし二者を比較すると同じ軸線でも祈る相手が違うことに気づかされます。どちらも同じ文明そのものに再考を迫る施設であることに変わりはありませんが、広島は原爆という人災に対してであって、ここは自然そのものがその対象となることで心の向き方に大きな違いがあります。2㎞にわたって高さ12.5mの防潮堤に遮られ、海の望めない低地の中に施設はあります。何に祈るのか、無宗教で祈るとはどういうことなのか、遺族の方たちの思いもまた様々ななかにあって、たどり着いた思いは「海に対して思いを馳せる」ということだったと設計者は明かします。その目的に対して建築のできること、公園施設にできることはわずかしかないけれど、暮らしの中に身を置きながら「心を整えるための助けとなる装置」として空間を作っていったといいます。駐車場からアプローチというものが特にないところで先の縦横の軸線の交点に水盤が設けられ、その上にはトップライトから日の光が差し込み3次元的に天空に向かう軸線も演出されています。
 ひとはその向こうに切り取られた絵のような情景を見て、その中心に防潮堤へと向かう動線を見出し自然と海へと向かいます。途中「献花の場」と追悼広場が設えてある場所を通り、さらに川原川の橋を渡り切ると防潮堤の階段に誘導され、それを上り切ると広田湾を一望する「海を望む場」に到達します。御影石上にステンレスの花台が献花を載せています。ここがこの施設の中心となるべき場所なのです。
 下には植林されている松の幼木群がみどりをたたえ広田湾の青とコントラストを際立たせています。これまで多くの恵みを受けてきた海でしたが、今回は生活のすべてをその海に奪われてしまいました。しかしここでの生活を続ける以上、またその分海から恵みを取り戻すしかなく、そういう意味では時間をかけて「和解」していく場でもあるのだとも言います。「復興の軸」の中心をなす施設棟の2階部分の外壁にはホワイトコンクリートのPCパネルが張られています。そこには有孔板のように小さな穴がいくつも開いているのが目視できます。夜になるとパネル裏に設けた照明によりこの穴から光が漏れる仕掛けになっており、その穴の数18,434個は建設時点での東日本大震災の犠牲者数を表しているとのことです。設計者はこのパネルを取り付ける際精度管理にレーザー計測を用いることによって±1㎜というコンクリート造では極限の精度で壁面を形成させたといいます。建築に携わるものとして追悼に至る願いのようなものをこの精度に求めたというのです。監理する側も作る側も思いを一にしてこの現場に取り組んでいたのだと胸を打たれる思いがしました。設計は内藤廣氏他。
 祈りや追悼を形に表すという難題は建築設計のだいご味でもあるし苦しみでもあります。それには高い社会的見識と技術的知見、そしてなにより深い思いのたけが必要なのだと改めて感じたのでした。
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