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社長のうんちく

#203 太平記の里から

2025-06-26
 ここ太田市から隣の栃木県足利市にかけての地域はよく「太平記の里」と呼ばれることがあります。中世、鎌倉期から南北朝にかけて活躍し同じ清和源氏から分かれた新田氏や足利氏が本拠とした場所だからです。特に太田市近辺は「新田荘」とも呼ばれ新田氏ゆかりの寺院や史跡が多く残されています。鎌倉幕府滅亡の際は新田義貞、足利尊氏とも後醍醐帝側に与して功がありましたが、その後尊氏が後醍醐帝と袂を分けて南北朝の時代に移っていきます。その鎌倉末期から南北朝中期までの約50年間の争乱を華麗な和漢混交文で描いたのが「太平記」と呼ばれる軍記物語で、その名称からこの地域一帯を太平記の里と呼ぶようになったといわれます。
 その太平記は全40巻からなり、第一部の一~十一巻までが後醍醐即位から鎌倉幕府滅亡まで、第二部の十二~二十一巻が建武の新政から後醍醐の死まで、二十二巻が欠落、二十三~四十巻までの第三部が楠木正行(正成の子)の戦死から足利義満の将軍就任までをそれぞれ描いているとされます。原本は失われており多くの写本が平家物語のように語り部として流布して今に伝わりますが、作者については小島法師作と伝えられるのみで未詳とされています。
 その太田市の東隣りの大泉町古海(こかい)という場所に「高徳寺」という高野山真言宗の寺院があり、入口の石塔に「児島備後守高徳公終焉之地」と脇書きされています。児嶋高徳が定住し生涯を終えたといわれる寺です。
 児嶋高徳と聞いて今のひとにはピンとくる人は少ないと思いますが、戦前の教育を受けた人ならだれでも知っているといっても過言ではないくらいに楠木正成と並んで忠臣として知られ、歴史・地理だけでなく文部省唱歌にも歌われたといいます。
 特にこの石碑の裏側にも刻まれている高徳の漢詩が有名とされています。
 「天勾践(てんこうせん)を空(むな)しゅうする莫れ(なかれ)。時范蠡(ときはんれい)無(な)きにしも非(あら)ず」
 「天よ、越王勾践を空しくして見殺しにしてはならない。時には越王を助けた范蠡のような忠臣、つまりこのわたくし高徳がいるのだから。」と訳されます。
 隠岐へ流される途中の後醍醐帝を奪い返そうと護送する武士団を追尾しましたが機会なく、やむなく宿舎の庭に忍び込み、桜の樹皮を削って上の漢詩を墨書し天皇に伝えたとされます。高徳はこの中国・呉越戦乱の時代の古事を引いて、天皇に忠誠を尽くす志しを示したのです。太平記中にあるこの逸話は戦前の皇民教育にとっては忠義を教える格好の題材として人口に膾炙しました。戦前の子供たちはこんな難解な漢詩の歌を諳んじて歌っていたのですね。
 少し話しが長くなりましたが、この児嶋高徳こそが前述の太平記の作者・小島法師なのではないかという学説があるのです。小島法師が作者であるというのは、同時代の「洞院公定日記(とういんきんさだにっき)」の記述から、太平記の作者は姓を「小島」といい、法師(僧)であり、応安七年に亡くなったことが明確になっています。応安七年は足利義満の時代でまだ南北朝の対立が続いている時期で、仮に小島法師が七十歳で亡くなったとすると嘉元二年生まれで鎌倉幕府滅亡時には二十九歳の時だったことになり決して矛盾しないといいます。
 ただ岡山・備前の在野の武士であった高徳に、太平記のような朱子学や修験に通じ武家のことにも公家のことにも詳しい深い学識を持ち合わせたものでなければ書けないものが果たして可能だったのかという反論もあり、ましてや太平記以外には高徳の存在を確認できる文献がないことから存在そのものを疑う説さえあるとされます。
 高徳は元弘の乱に際して後醍醐帝に呼応して兵を上げて以来、一貫して南朝方につき各地を転戦しました。義貞死後は弟・脇屋義助父子に従い京で再挙したものの功成らず、後村上天皇に召されて「関東に下って兵を集めよ」との勅命を受けてこの上州に下向したとされ、その際義助の遺髪を新田荘・正法寺に納め、そののちこの古海の地に隠棲し七十二歳で亡くなったと由緒書きには記されています。
 高徳の墓所は寺から道を挟んで150mほどの一般墓地内に一段高く作られ、後年作られたのでしょうが、宝篋印塔の形を取った装飾性の高い墓石になっています。
太平記に通底しているテーマは朱子学でいうところの「徳なきものは滅ぶ」という考え方です。その観点からするとこの太平記での後醍醐帝の描き方はどうみても「欠徳人間」としてしか描かれていないといいます。南朝側だった高徳が作者だとすると矛盾するようにも思えますが、描きたかったのは滅びるのは上に立つ者が駄目だからなのだという、一種の倫理史観だったのではないかという考え方もあるようです。
 そうだとするとこの争乱の時代を「太平」と題した作者・児嶋高徳にはアイロニーに満ちたセンスのようなものを感じますね。
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